町の昔話
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昔、木曽岬にも狐が住んでいたそうだ。今と違って村の中には松原や竹やぶや雑木林等があって、日中でも薄暗く狐のすんでいるような気味の悪い場所が各所にありました。
ある夜、船頭さんの家に水も滴るような美人が訪ねてきて「明晩大勢で何処やら行きたいので、船賃は十分払いますので、船を出してください」との頼みでした。船頭さんは快く引き受けたそうです。
当日となり、船頭さんが待っていると、男の人、女の人、老人、子供が多数乗り込み、「あの燈火の方向へ漕いで行ってほしい」と言ったそうです。船頭さんは一生懸命櫓を操りましたが、なかなか到着しません。東の空が白みかけてきた頃ようやく船が着きました。そのとたん多数の狐が船から飛び降りてかけて去っていったそうです。着いた所は「ツタゴオリ」と言って、今の知多半島のどこかだそうです。それから木曽岬には狐がいなくなったそうです。もちろん船賃は木の葉でしたとさ。
昔、木曽岬の見入という所に狐が住んでいました。ある晩に「油揚げ」を庭先に置き忘れて、朝気づいたら狐が食べたのかなくなっていました。
その翌朝庭先に大きな「なまず」が置いてあったそうです。きっと狐がお礼にきたのだということだそうだ。
狐は尻尾で川の水をたたいていると、「なまず」が餌と間違えて飛びついてくるのを捕らえるのだそうだ。
昔、小学校から100mほど南に入った所に床屋がありました。床屋の南には旧の堤防があって松林となっていました。
ある夕方、散髪に行った人が話し込んで夜の10時すぎに家に帰る途中、突然目の前に大入道と小入道が3つ並んで立っていたそうだ。
びっくり仰天!!違う道を通って帰ろうとしましたが、足がすくんで走れませんでした。もしかして狐の仕業だったかもしれませんね。
今は、地味肥よくな田となって、年々稲穂の打ち寄せる美田となり、その跡も留めてはいませんが、昭和31年に木曽川の土砂をふきこんで開拓がされるまでは、福崎に大きな池がありました。村の古老も深さを知らないという3反程の大きさでした。この池は昔に堤防が決壊してできたもので、3m余りの大蛇が住んでいるとの伝説がありました。
ある朝、この池のほとりで草むしりをしていた百姓が、暑いので木陰に横たわっていた丸太の上に腰をかけ、一服タバコをくわえて休んでいたところ、にわかに丸太が動き出し、すさまじい音をたて水煙をあげながら大池に沈んでいきました。これは、多年この池に住むといわれている伝説の大蛇でした。百姓は失神していましたが、夕方家族に助けられて以後10日間も高熱でうなされたといいます。それからこの池は「魔の池」として恐れ、ここに集まる魚には何人も網を入れることもなく補助開拓施工まで続いていました。
明治の幕末頃、巡査が博徒を追ってこの池に飛び込んだが、翌日死体となって発見されたこともあるそうです。それからこの池には「ぬし」が住んでいるという言い伝えがありました。
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